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執筆者の写真Bobson

オムニバス禁止令


どーも、「髪のねじれは心のねじれ」でおなじみの天然パーマBobsonです。 今日は最近お酒を飲んだ時によくする話を書こうと思います。

それは、「オムニバス禁止令」です。

もともとこれは電通のクリエイティブディレクターの高崎卓馬さんが、著書「表現の技術」で言っていたことです。

高崎卓馬さんは、JR東日本の「行くぜ、東北。」やサントリーオランジーナ「ムッシュはつらいよ」などのCMから「ホノカアボーイ」という映画や最近では、「オートリバース」という小説まで、CMという枠を超えて幅広く活躍している方です。

「オムニバス禁止令」はその中の一節にあるお話なのですが、私は新卒ぐらいの時にこのお話を読んですごく印象に残っていて、これはモノをつくるものとして意識しておかなければならないことだなと思っているのですが、なぜか最近やたらとこの話を飲みの席でするので、1回書いてみるかと思った次第です。

まず、高崎さんの言う「オムニバス禁止令」をざっくりと説明します。

高崎さんはCMをつくる時に、同じようなシーンをたくさんつないでみせて、いい感じの音楽をあてがうようなCMの表現方法を自身に禁じています。

なんか見たことありません?

例えば、人が再開するシーンをいくつもつないで感動的な音楽と一緒に流すようなもの。

高崎さんは、これを企画の放棄だと言っています。

・見たことのある典型的なシーンを重ねると人は「言えた気分」になるが、それは何も言えていないに等しく、もっと言えば表面的で印象に残らない。

・100人いれば100人がつくれる企画にすぎない

からです。

高崎さんは例えば、先ほどの再開の連続のCMであれば、その再開の1つを抜き出して30秒の企画を作り直すことで、深みが出て、「物語」になり、ありがちでなくなると言います。

一般論より個人的な話の方が逆に普遍的な力を持つと。

要するにオムニバスは伝えたいテーマを薄くするだけだということです。

そして高崎さんは映画の世界でもオムニバスはあまりいいものとされていないと言って、

この節を結んでいました。

さて、演劇ではどうでしょうか?

まず、演劇においてオムニバスをやる場合、

私が個人的に1つ思うのは、制作側の事情によってオムニバスになっているのではないかという点です。

例えば、

・集客のため、認知度アップのために、複数の劇団が集まってオムニバスを行う

・劇団内に複数の脚本家がいて、全員にホンを書かせてあげたいからオムニバス形式をとる

・出演する役者が多すぎて、役者に見せ場をつくるためにオムニバスにせざるをえない。

・公演は打つことは決まっているが、出演者のスケジュールがどうしても合わず、バラバラに稽古しかできないからオムニバスにする

とかです。

大抵そういうオムニバスはカモフラージュのように「1つのテーマに対して各作り手がどう表現するかを楽しめる」なんて良さげなことを言いますが、だったら1つのテーマで20分劇3本ではなく、60分〜80分の長編として別の期間にやった方がいいのでは?と思ってしまいます。

20分3本なのは、制作側の都合ですよね?面白いものをつくる、伝えたいことを伝えるという観点で見たときにその方法は正解ですか?

……もちろん、そんな単純な事情でないのは承知の上です。

CMは、不特定多数に流せますが、演劇は見てくれるお客さんがいなければ、陽の目を見ません。

それに、こんなことを言うと誰かに怒られそうですが、世の中には先ほど話に出た「人が再開するシーンをいくつもつないで感動的な音楽と一緒に流すようなもの。」を喜ぶ人が意外といるということです。

100人いれば100人がつくれる企画にすぎない表面的な「言えた気分」になっているものを見て表面的に感動する人が結構いる訳ですね。

これは作り手側と受け手側の齟齬かもしれません。

そういえば以前、日活のロマンポルノ・リブート・プロジェクトというものがありましたが、これは、そういう意味では各監督がテーマに沿って1本ずつ映画を撮っていたのでいいなと思いました。

私は園子温監督と白石和彌監督のを観に行きましたが、どちらも個性が出ていてよかったなぁと思います。(園子温監督のは、個性強すぎてよくわからなかった部分もありましたが。)

さて、話を演劇に戻します。

正直、他はどうだっていいです。それぞれの考え方があるでしょうから。

でも私は1つのテーマがあった時、20分と80分どっちで表現したいと聞かれたら、

80分使って表現したいですし、20分じゃ表現しきれない、薄くなるとも思います。

(星新一さんみたいな短編の天才みたいな人なら、また話は変わりますが、私はどちらかというと短編が苦手ですし…。)

群像劇ってジャンルがあったりしますが、それだってあまりに群像が過ぎると薄くなるんじゃないでしょうか。

という訳で、私も自身にオムニバス禁止令を敷いています。

何年間もそうしてやってきました。

でもね、禁止されるとやりたくなるのが、人間ってモノです。

たまには、あえてオムニバスをやってやろう。

しかもあえて「人が再開するシーンをいくつもつないで感動的な音楽と一緒に流すようなもの。」をやってやろう。

そして自分なりの答えをこの「オムニバス禁止令」に出してみよう。

そう思ってしまったんですね。

だから夏にやったTEAM909第4回公演「愛されたいとか言ってる奴は全員死ね」は、ある種のオムニバス形式をとることになりました。

もう自分でも反省なんですが、なんで私はこう、賛否が分かれそうなことばっかりやりたがってしまうんでしょうね。これはもう病気ですかね。

演劇を始めた当初、平田オリザさんの著書に「小説や映画のように、だんだんと状況が判っていくという形式、だんだん謎が解けていくという展開は、演劇にはあまり向いていない」と書いてあって、なるほどなーと思いつつも、まあ、もう、本当に、毎度そればっかやってます。笑

いやー、もうね、この病気は治らないと思うんですよね。

髪の毛もねじ曲がっていく一方です。しまいにはアフロになるんでしょう。

2つ選択肢があって、こっちの方が広く受け入れられそうだなーと思っても、個人的に反対の選択肢の方が気になっちゃったら、そっち行っちゃうんですね。

仕事では絶対そういうことをしない分、演劇ではやっちゃうのかもしれません。

だから、こんな私でよければ、お好きな方は是非お付き合いください。

嫌いな方は温かく、そっと見守っていただければと思います。

どんなお話なのか見てないよって方は、近日「愛されたいとか言ってる奴は全員死ね」の脚本を公開予定ですので、しばしお待ち下さい。

一応言うと私は引き続き「オムニバス禁止令」を自分に敷いていこうと思います。

破る時は、この前の夏のように、それなりの覚悟を持って破ります。

そうそう、来年2月のTEAM909の公演のアイデアがこの間ピーンと浮かんだんですが、これもまた賛否ありそうなんですよねー。でも今自分の中では、これめっちゃ面白くなりそう(自分が好きそう)って予感でいっぱいなんですよ。毎度のことながら、果たして自分は面白いのか否かという葛藤の日々がまたまたまたまた始まりそうです。

なんかモノつくると人って多少躁鬱みたいになりますよね。笑

「私めっちゃ面白い!」からの「私なんて誰にも認められない。私は面白くない。」みたいな。それをジグザグジグザグ行ったり来たり。

えー、話が逸れてきたんで締めます。

ちなみにこの「表現の技術」。

他にも興味深いお話がたくさん載ってるのでオススメです。

実際、私も、「オムニバス禁止令」を含めて、モノをつくる時に意識していることが多々有ります。

基本的にCMの世界のお話ですが、それでも参考になりますよ。

漫画の世界では、いい漫画家になるためには漫画ばっかり読んでたらダメだなんて言いますが、それは演劇の世界でもそうじゃないでしょうか。

演劇ばっかり見ていては、いい演劇はつくれないと思うのです。

創作物に限らず、いろんな世界に触れること。

これは1つ社会人としての強みかなとは思います。

演劇の世界だけでやっているとどっぷり演劇の世界に浸かってしまって、

世の中がわからなくなってしまう人がたまにいます。

演劇以外の世界を知っていること。

これって大事なことですし、せっかくヒーヒー言いながら会社員やってるんだから、作品づくりに活かすべきことだと思っています。

てな訳で、たまにはCM、ノースキップで見てみませんか?

何か、発見があるかもしれませんよ。

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